神待ち掲示板東京を利用する人

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今や知らない人はいない神待ち掲示板東京。私も初めは抵抗があったが、友人の勧めで家出した時に登録をした。初めは懐かしい友達が今はどこで何をしているのか、知ることができてわくわくしていた。
昔は携帯もなければ、家の固定電話や住所で手紙のやり取りしか連絡手段がなかった。なかなか昔の同級生や友人とつながる機会もなく、大変すぐれた掲示板ができたものだ、と感心した。
しかしだんだんと違和感を覚えてきたのだ。
今日は○○さんとランチにいきました、今日は結婚記念日で旦那がお花をくれました、今日は○○へ旅行へいっています、などその人その人の思い、行動が毎回送られてくる。
そしてそれに対する大量のコメントまでメールで送られてくる。確かに頑張れ、すごいね、と思うことは多々あるし、幸せをわけてもらえていい気分になることもある。
自分がアップした時に沢山の「いいね」をもらえたり、共感してもらえた時は嬉しくなる。しかしその共感してもらえる喜びがだんだん快感になってきていることに気づいたのだ。
実際にあった話だが、まめな友人は、他の友人のアップした記事にこまめにコメントをしていた。しかしタイミングというものもあり、一人の友人にコメントをしなかったのだ。
するとその友人が、○○さんや○○さんにはコメントしているのに、なんで私にはコメントしないの?私のこと避けてるの?とある日問い詰められた。本人はそんなつもりまったくないのに、被害妄想もいいところだ。
だが実際にそのような話をよく耳にする。わざわざ相手の記事のコメントまで見て誰が誰にコメントを送っている、など調べているなんてただの暇人だ、と正直思ってしまうのだが、なぜそこまでコメントを気にするのだろうか。
一番に沢山の人から認められたい、という気持ちが働いているのではないだろうか。こんなことがあったよ、と口にすると自慢だろ、と思われるようなことも神待ち掲示板東京上では「いいね」で共感することができる。
共感された方は優越感に浸ることができる。
自分の意見をなかなか口で表現することが苦手な現代人。ネットの普及で相手に直接会って口にしなくても、相手に言葉を瞬時に送ることができる。私はそれがなんとなく悲しく感じる。
文面だけでは相手が今どのような思いでこの記事を書いているのか、わかる余地もない。捉え方によっては相手を傷つけてしまうこともある。
例えば、子供が家出しました。という記事があるとする。早く戻るといいね、という意味で「いいね」をしたつもりが、捉え方によっては「子供が病気なのによくないし」と思う人もいるだろう。
ここまで否定的なことばかり書いているように感じるが、私は決して悪いとは思っていない。情報社会の今、何が本当で何が違うのか、自分の目で見極めなければならない。
同じように神待ち掲示板東京との付き合い方も自分の目で見極めなければならないのではないか。自分の気持ちを伝える掲示板にはなって欲しくはない。
我が子も相手の目を見て感じることのできる子になって欲しいものである。神待ち掲示板東京